『もしも』
既に述べたように、ゴールドマンにしては意外過ぎる程の素朴な言葉に終始したこの『Si』という曲。
「もしも 私が」と繰り返される祈りは、「魔法使いのように強い力を持っていたら」などという子供のような願いに繋がって無邪気ですらある。
「ユートピアの種を撒きたい」「一人では無理でも皆で手を繋げば、声を合わせれば、きっと変わってゆく筈だ。一歩ずつであっても歩みを進めよう」
強く迫ってくる旋律に乗せて、ダイレクトであるがゆえに迷いなく浸み入ってくる言葉の力を、私の訳詞『もしも』では、最大限伝えたいと思った。
原石をちりばめたような、不器用な位にそのままの言葉を、私も敢えて研磨することをせず、そっと置いてみたかった。
そういう言葉でなければ、ゴールドマンの思いは届かないのではと思った。
そうして作った私の訳詞。
冒頭部分と最後の締めくくり部分はこのようである。
上記の原詩と比べてご覧になると、そのエッセンスに忠実な歌詞であることがおわかり頂けるのではと思う。
もしも 今 私の願いが叶うなら
どんな祈りも 聞き入れられるなら
もしも 今 私に 魔法の力があって
世界を自由に変えることができるなら
哀しみは空に放ち 涙は川に流し
果てしなく彷徨う砂漠に
ユートピアの種を 撒き続けるだろう
どんな風(かぜ)にも ひるむことなく
・・・・中略・・・・
それでも 私達が 声を合わせるなら
きっとそこから 何かが生まれる
この不毛の地に その手を繋ぎ合って
一つ 一つ 世界を実らせよう
心通わせ 共に歩もう |
この曲を初めて歌ったコンサートの当日11月14日は、奇しくも世界中を震撼させたあのフランスでの大惨事が起こった日でもあった。
朝一番のニュースに大きな打撃を受けたまま、コンサート会場に向かい、午前中からリハーサルに入った。
『たびだち』も『見果てぬ世界』も他のゴールドマンの曲も全てがそうだったのだが、特に、この曲を歌った時には、朝テレビで目にした映像が鮮明に心に浮かんできて、強い衝動を感じていた気がする。
ゴールドマンの希求が胸に迫ってきて、溢れそうな感情と詰まりそうな言葉とのせめぎ合いの中にあった気がする。
後で、コンサートにいらしたお客様数名から、「あの曲は今日の衝撃的なニュースをゴールドマンが予感して作ったものなのかとすら感じて背筋が震えた」との感想を伺ったが、朝一番のニュースだけで出てきた私より、お客様は事件の詳細をご存じだった分、更に衝撃が大きかったのかもしれないと思った。
あれから二カ月が過ぎたが、このお正月も、テロの影響が続くフランス、サウジアラビアとイランの対立紛争、北朝鮮の核実験、平和の対極にある、胸塞がれ、憤りで一杯になるニュースで世界は溢れている。
2013年に作られた曲だが、今こそまさに、このゴールドマンのメッセージに真摯に耳を傾けるべき時、実感を持って切迫してくる。
彼はどのような思いの中に今いるのだろうか。
そんなことを今朝も思いながら、改めてしみじみと『もしも』を口ずさんだ。
Fin |
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(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。) |