それでも、日本では、彼女の存在すら紹介されないことが不思議だ。フランスの音楽は、まだまだ遠い処にあるのかもしれないと折に触れ実感させられる。
日本的感覚なら、30歳のデビューというのは、ベストヒットを出すアイドルとしては高年齢とされるのだろうが、フランスでは音楽の質こそが重要で、さすが享受する側の成熟度も高い。
『dernière danse(最後のダンス)』
さて、『最後のダンス』の原詩は次のように始まる。
Oh ma douce souffrance
ああ 私の甘い苦しみ
Pourquoi s’acharne tu r’commences
何故かむきになって 貴方はまた始める
Je ne suis qu’un étre sans importance
私は意味のない存在でしかない
Sans lui je suis un peu 《 paro 》
彼なしで 私は少し滑稽だ
Je déambule seule dans le métro
メトロを私は一人で彷徨う
Souffrance r’commences importance と文末に韻が踏まれていて、切れ目なく揺れ続けるような独特なメロディーの中に、音の響きが刻まれる。
私の訳詞もまた、文末に「ウ」音を揃え響かせることを留意しながら次のように始めてみた。
貴方を探す 探し続けて歩く
一人ぼっちのメトロ 心を突き刺す
最後のダンス
夢がクルクル回る 甘い痛みが回る
壊れてゆく
そして、原詩は更に次のように続く。
Je remue le ciel, le jour, la nuit
Je danse avec le vent, la pluie
Un peu d’amour, un brin de miel
Et je danse, danse, danse, danse ・・・・・
(私は空をゆすぶる 昼も 夜も 風と 雨と 一緒に踊る
少しの愛 蜜 そして 私は 踊る 踊る 踊る・・・・)
恋人を失う焦燥感の中で、主人公は「甘い痛み」から逃れようとしてパリの街を走り続け、踊り続け、どこかに飛翔しようと試みる。
「甘い痛み」が詩中のキーワードとなっていて、これは少し不思議な言葉でもあるのだが、深い喪失感や絶望感が心に作用する、現実から離反した一種の酩酊状態なのではと私には思われる。
何故、主人公はひたすら踊り続けるのだろう。
彼女にとって「踊ること」は、念じ続けること、祈り続けることなのかもしれない。
打ちひしがれた心を再生すべく<歌い><踊る>。
終わりなく歌い、踊り続ける主人公の姿が、曲の中で鮮やかに浮かび上がってくる。
感覚的な言葉が散りばめられている飛躍の多い難解ともいえる原詩なのだが、そうであることがマイナスにはならず、インディラの歌を聴いていると、むしろ言葉そのものも跳躍しているような気さえしてくる。
フレンチポップスの新しい風、この曲を今度のコンサートでは是非取り上げてみたいと思っている
Fin |
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