詩の内容は、ゲンズブールの完全オリジナルで,狂おしく燃え上がったはずの二人の恋はすれ違い,今や破局を向かえ,冷ややかに去って行く男への、女の思いが語られている。
詩を読んだときにまず,「Dans la jungle de nos amours éperdues(狂おしいまでの恋のジャングル(密林)の中で)」という表現が強烈に心に飛び込んできた。
それから,「私達は傷つけ壊し合い」という言葉にも、本来のソルヴェーグのなよやかで柔和な愛とは対極にあるような愛憎の世界が見えてくる。
「愛は貴方にとっては賭け事のようなもので,このゲームで貴方の上に出ることがついには出来ず,私は敗北してしまった」と彼女は言う。
嘘をつき,裏切り,ただ恋を弄び,今は白々しく他人行儀に振舞おうとする、貴方はそういう人なのだと言っている。
イプセンが創り上げた原典の中の純潔無垢なソルヴェーグの心を反転させて,ゲンズブールは、この曲の中で、新たなソルヴェーグの像を描き出そうとしているのではないだろうか。
<信じて、待って、耐えて、愛し続けて>の対極にあるものは何か。
<耐えて待つ>というと、日本的、演歌的世界のような感じがするが、必ずしもそんなことはなく、シャンソンの中にも、待ち続ける女性の心情はかなり沢山歌われている。けれど、そのどの歌にも、<待つこと>に自分としての希望や意味を見据えて、主体的な意思が貫かれていて、これこそがフランス的な自我のあり方であり、香りであるのか、とも思ってしまう。
「ロスト・ソング」の中の女主人公は、愛の不毛を見てしまったからにはもはやどんなに喪失感が深くても、待つことに何の意味も感じないと思い定め、恋に決着をつけようと佇んでいるように見える。
ゲンズブールが生み出そうとしたソルヴェーグは、<待たない女性><切り捨てることを決断する女性>だったのではないだろうか。
「ロスト・ソング」の原詩は次のように締めくくられている。
私は認めていたし、わかっていた
私がもう既に打ち負かされていたことを
恐れが 貴方の傲慢が 私を殺す
貴方はもう私のことを<きみ>ではなく<あなた>と呼ぶ
この最後の部分の「私を殺す」という言葉にイメージを大いに喚起されて、私の日本語詩は以下のように閉じてみた。
私は貴方のものじゃない 心が壊れてゆく
優しげに私を呼ぶ 貴方の声が遠ざかる
道に迷った 私の恋は 最後の悲鳴をあげる
ゲンズブールの詩からのイメージを受けつつも、言葉としては完全に私の創作になっている。この日本語詩の中で、私は、愛の最後を見尽くしてしまった絶望を、脱却からのエネルギーに変えてゆく、そういう潔くしたたかなもう一人のソルヴェーグを生み出してみたかった。
ソルヴェーグの姿を様々に思い描きながら、久しぶりにまたコンサートの中で歌ってみようかと思っている。
Fin
(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)
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