『木綿のハンカチーフ』
『見果てぬ世界』には、もう一人、主人公の恋人が登場する。
彼の思いを危ういものに感じ、それが二人の愛の終焉に繋がることを予感して、必死で引き留めようとしている。
彼女の言葉を次のように訳詞してみた。
là-bas
私の傍にいて どこにも行かないで
見知らぬ世界の 渦の中で
貴方の心は 壊れてしまうから
気付いて欲しい 愛はここにある
だから、どんなことがあっても出て行ってはならないのだと、強くどこまでも引き留め続ける。
1975年の日本のヒット曲、太田裕美が歌った『木綿のハンカチーフ』という曲がなぜか重なって思い出された。
1 恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの 探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は 欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って 染まらないで帰って
<略>
4 恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ
ねえ 涙拭く木綿の
ハンカチーフください ハンカチーフください
彼女が最後に望んだのは、木綿のハンカチーフだったという切ない幕切れだ。
彼はただ都会に流された軽佻浮薄な輩だったわけであり、それでもそんな彼のために流す涙を拭く「ハンカチーフを下さい」という、どこまでも彼を受け入れ、許し続ける女性は、まず絶対的にフランス人の女性には存在しないのではと思われる。
『見果てぬ世界』の中には、愛を獲得するために相手を引き留め続けようとする強い女性像が垣間見え、似て非なる、日本とフランスの文化の差異が興味深い。
『たびだち』
話を戻すと。
『見果てぬ世界』の中のこの恋が間違っていたわけでもなく、彼か彼女、どちらかが悪かったわけでもなく、ただ青春の彷徨・旅立ちというものは時としてそういう残酷な側面を抱えているのだということなのだろう。
常に自分らしく生き、プライドを持ち続けようとする青年の、ヒリヒリとした青春の痛みが伝わってくるように思える。
以前、「訳詞への思い」の「たびだちその一」、「たびだち その二」に記した「puisque tu pars(『たびだち』松峰邦題)」は、この『見果てぬ世界』と同年の1987年に発表された曲で、閉塞された現状を打破すべく今居る場所を飛び出して、新しい世界に羽ばたいてゆく若者を見送る側の視点で書かれたアンサーソングのような作品になっている。
人生には、いつも、幾つもの旅立つ者、見送る者のドラマが繰り返されるのだろう。
そんな様々な感慨を含みつつ、数日後のコンサートではこの二つの曲の世界を心を込めて歌ってみたいと思っている。
Fin |
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(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
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