WEB松峰綾音

「je t’aime」その一    

初出ブログへ 2016-3-3

 日本ではまだ知る人の殆どなかった15年以上も前から、私は彼女に注目していて、ずっと、いつか来日する日が来ないかしらと願っていました。
 ついに待ちきれなくなって、ベルギーまで彼女のライヴコンサートを聴きに行った入れ込みようでした。そんなお話も交えながら、今回は「訳詩への思い」、彼女の代表曲の『je t’aime』を取り上げたいと思います。

 

『ララ・ファビアン 』

 Lara Fabian、1970年生まれ、今年(2016年)46歳になる。

 私が最初に彼女の歌を聴いたのは、彼女がまだ20代の頃だったかと思う。
 瑞々しい感性と情熱に溢れた魅力的な若手歌手の出現に心惹かれ、今日に至るまで注目してきたので、今年7月に来日公演が実現することになり、これで、日本における知名度と評価も一気に高まるのではと、今とても嬉しく感じている。
 「私、先見の明があるでしょう?」と誰かにちょっとだけ自慢してみたい衝動に駆られてしまう。

 ララ・ファビアンはベルギー生まれだが、現在はケベック(カナダのフランス語圏)に市民権を得ている。
 ギタリストである父はフランドル系ベルギー人、母はシチリア系イタリア人であり、彼女の熱情的で一途な資質はイタリア人の母の血を継いだのではと彼女自身語っている。  
 8歳の頃から10年間「ブリュッセル王立音楽学校」でピアノ・ダンス・クラシック音楽の基本を学んだ。

 映画『ドクトル・ジバゴ』に感銘を受けた両親によって、その主題曲である『ララのテーマ』にちなみ、「ララ」と名づけられたのだそうだ。
 14歳の頃から父とともにピアノバーなどで音楽活動を行っていたが、音楽学校卒業の後、シンガーソングライターとしての才を発揮し始め、ヨーロッパ各地の音楽祭で賞を獲得している。

 1986年(17歳)、ブリュッセル時代の盟友Rick Allisonと共に自身のレーベルを立ち上げ、デビューアルバムを発表したのを皮切りに、次々と新譜をリリースし頭角を現した

写真は私が収集したファビアンのCDとDVD

 

 1996年のアルバム『pure』はカナダやヨーロッパ各地で大ヒット、200万枚のアルバムセールスを記録している。
 これに次いで2000年に初の英語版アルバム『Lara Fabian 』が発表されると、これがアメリカでも圧倒的人気を博して、世界に知名度を大きく広げることになった。その後も意欲的なアルバム制作・コンサート活動を継続し今日に至っている。アルバム売上枚数は世界で2000万枚以上と言われる。

 これまでの軌跡をざっと辿ってみたが、日本でも彼女のファンが生まれてきたのは、主にはこの英語盤が発表されて以降のことだから、やはりアメリカ優位で、フランス語圏の音楽はなかなか日本に紹介されにくい現状があるということなのだろう。
 フランス語の曲にこだわり、訳詩に携わっている日々の中で、この壁にぶつかることは多い。

 さて少し話は変わるのだが。
 セリーヌ・ディオンとかガルーとか、カナダ出身の歌手は総じて声が良く歌唱力抜群であると、一絡げにして言われることがよくある。そして、ファビアンもその中の一人に加えられるのが常だ。
 ドラマチックな歌唱力、魅惑的な風貌、艶やかで美しい声と圧倒的な声量を持つ彼女は、まさに「Chanteuse a` voix(声で勝負する 声量のある歌手)」と呼ばれるにふさわしい。

 けれど翻って考えると、ファビアンはシンガーソングライターとしても意欲的に作詞・作曲を行っているし、その詩の世界は、恋愛模様を歌うだけではなく広く社会へのメッセージも含んで多岐にわたっているのだが、美し過ぎる声ゆえに、歌手としての評価ばかりが先行してしまう傾向が否めないように思われる。

 フランスでは、歌手はまず自らが優れた詩人であり、己の詩的世界を表明し、それを歌うことが、一流のアーティストとしての条件とされる向きがあり、どんなに歌が上手でも誰かの詩を歌うだけの歌手は何となく一段低く捉えられていることが多いように感じる。
 ララ・ファビアンを語るときにその歌唱に注目が集まり過ぎてしまうことを、本人はどう捉えているのかなどとふと思う。
 提供される楽曲、そして自らの創作も、もしかしたら受け取る側の期待を反映して、声を聴かせることに偏ることもあるだろうし、そんな<持てる者の悩み>を抱えつつ、どのように、彼女自身の言葉と音楽とが織りなす世界を芳醇なものに高めてゆくかの尽きぬ挑戦なのだろう。

ファビアンの思い出

 

 7年前2009年に、『toutes les femmes en moi 』(私の中のすべての女性たち)というアルバムがリリースされ、これを記念したコンサートツアーがヨーロッパ各地で開催された。
 なかなか来日公演も実現しないし、それならこちらから出かけようと、パリ旅行と合わせてベルギーまで足を延ばしたことがある。

 ベルギーのリエージュにある一番古いコンサートホールでの公演だった。


 2009年9月の末、秋深まる美しい季節に、期待で胸膨らむ素敵な旅となった。
 Paris nord (パリ北駅)から高速鉄道に乗ってliege gutllemins(リエージュ駅)まで2時間半の鉄道の旅、どこまでも続くのどかな牧草地帯を車窓に眺めながら、ブリュッセルを通り越して、やがてリエージュに到着。

 普段、日本人が降り立つことなどめったにない駅らしく、親切な車掌さんが「本当にここで降りていいのか?」と何度も心配して尋ねてくれた。

 アンティークな建物が立ち並ぶ端正な街並み、どこかノスタルジックな趣を残す市街地をベルギーワッフルを食べたり、ぶらぶらと楽しんでいるうちに夕暮れ時、街並みに溶け込んで何気ない佇まいのホールだったが、中に入ると古色蒼然とした昔日のヨーロッパに迷い込んだ気がしたのを思い出す。

 ようやくとれたチケットは5階席の一番後ろで、ステージは遠いし、座席はひどく窮屈だったが、コンサートは予想を超える素晴らしさだった。遠いはずのステージが臨場感を持ってすぐ近くに迫ってきて、歌の魂に心が揺さぶられる気がした。

 客席は、いかにも地元の人達らしい気取らない普段着の雰囲気で、老若男女で埋め尽くされていた。フランスのライヴコンサートでは、歌手のレパートリーを客席も一体となって唱和することが多い。この時のアンコールは、彼女の代表曲、『je’taime』で、お隣りの席の恰幅の良いおじ様は感に堪えない表情で涙ぐみながら、バリトンの良く通る声でファビアンと声を合わせていた。

 私はすでに『je t’aime』の訳詩をしていたから、ここは自分の日本語で唱和しようかと一瞬思ったのだが、お隣りと目が合って、いつの間にかフランス語の原詩でおじ様とデュエットになっていた。

 ファビアンはサビの「je t’aime」という言葉を何回も何回もリフレインして、その響きが、会場を恍惚とした不思議な一つの空気に包み込む。
 彼女の言霊が声に乗って聴く側に移ってくる。心地よいコーラスが生まれる。

 歌の持つ力、歌がもたらす僥倖とでもいうものだろうか。

 肌に染み入ったあの感覚は今でも忘れられないし、私の歌う時の原風景になっている気がする。

 そして、これは恥ずかしい余談なのだが。
 陶酔感に心身が酩酊していたのか、帰り際の階段を数段踏み外し、コロコロとホールの赤い絨毯の上を転げてしまった。
 周りの人たちが一斉に駆け寄って大騒ぎだったのだが、幸いなことにかすり傷もなく事なきを得たという、お騒がせの幕切れとなった。  →その二に続く

 前置きが長くなったので、ここでひとまず筆を置き、次回は本題の『je t’aime』のご紹介に入りたいと思います。どうぞ引き続きお読みください。
  

 
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