フランス歌曲はフランス語で、ドイツ歌曲はドイツ語で、イタリア歌曲はイタリア語でというように、クラシックにおいては原語で歌うことが、王道であると言われる。 その一方で、最近は、クラシックの持つ敷居の高いイメージを払拭して、もっと身近なものにということで、日本語で歌うことも試みられてきているように思う。
また、クラシックと他ジャンルの音楽とのクロスオーバーなど、実験的な挑戦も注目されている。
歌舞伎、能、邦楽等の日本古来の歌舞音曲や、芸能に限らず伝統工芸、技術など、あらゆく伝統芸術のジャンルにおいて、時代感覚を取り入れた、広く現代に受け入れられる感覚を模索する動きなども、それと共通する部分があるのかもしれない。
そのような趨勢の中で訳詞を試みたのが、この作品である。 原題は『 Mon coeurs’ ouvre a` ta voix 』、「私の心は貴方の声で開かれる」という意味で、タイトルはそのまま『貴方の声に心は開く』とした。
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フランスの作曲家サン・サーンスの代表作であるオペラ『サムソンとデリラ』からの一曲。 1874年に完成したが、当初は聖書を題材に取った内容ということで酷評され、オペラ座での上演も拒否されたというこの物語は旧約聖書から採られており、ヘブライ人の若き英雄サムソンと、敵対する民族の娘デリラとの恋の駆け引きが、このオペラの山場となっている。
デリラは憎むべき敵であるサムソンを捕え、屈服させるべく、手練手管で誘惑する。サムソンはデリラの魅力に幻惑され、囚われの身となり、無数の神通力さえも奪い取られてしまうのだが、最後はサムソンの勝利で幕を閉じる。
物語に精通していなくても、誰もが一度はこの歌を聴いたことがあるのではないかと思われる名曲である。 |
私の訳詞の冒頭は次のようである。
朝の光の甘い口づけに
花は目覚めてゆく
貴方の声に 私の心も
高鳴り 花開く
私だけを見つめて欲しい
優しい言葉で 充たして欲しい
永久の愛を
ああ 此処に いつも側にいて
貴方だけ いつも 離れないで
もっと酔いしれて
この愛に応えて
ああ 私の愛しい人 |
訳詞の前半は、まさに蜜のような囁きが続く。
絶世の美女に熱く見つめられ耳元でため息交じりにこんな言葉を投げかけられたら、どんな猛者であっても骨抜きになってしまうことは必定だろう。
戦うところ敵なしの勇者であるサムソンを抑え、完全に屈服させるべく、彼自身の口から自らの決定的弱点を吐露させようとする、デリラの残酷なたくらみ。そのためにはなりふり構わぬ一世一代の大芝居を打ち、彼を陥落することに成功した。稀代の英雄はあっけなく敵に幽閉され、危うく命を奪われそうになる 。
悪女列伝の最初を飾りそうなデリラだが、マリア・カラスを初めとする様々なプリマドンナが、うっとりとした眼差し、甘く誘い込むような声で、それぞれの中に生きるデリラを歌い演じている。
メロディーも出色で、この場面によくぞこの旋律を、と感心するほど艶やかに恋の情景が表出されている。
いつの間にか、「デリラ頑張れ」、「サムソン、だまされるな」、とアリアの中に引き込まれてしまう。
日本語でもこのアリアを聴いてみたいと思った。ただし、この場合の日本語は、決して下卑ていたりしてはならず、あらゆるものに動じないサムソンの強い心を動かすだけの絶対的魅力を持っていなければならない。
えもいわれぬような香(かぐわ)しさと、神聖さと、誠実さと、一途さと、そういうものの蔭に裏切りを隠し持った危険な媚薬のようでなければならないのだと、少し大仰な言い方になるかもしれないが、そんな思いで、デリラに半ばなりきって作った訳詞である。 |