『雨傘 』

 

『La pluie 』

ZAZ・Ker-Eddine Soltani作詞、Vivian Roost作曲。

 

 ザーズ(ZAZ)の2009年のアルバム『Academ』に収録された曲である。  
 原題の『La pluie』は「雨」という意味だが、私は『雨傘』と邦題をつけた。 まずは、原詩とその対訳の全文を記してみたい。

 

 

Le ciel est gris la pluie s'invite comme par surprise   
elle est chez nous et comme un rite qui nous enlise 
les parapluies s'ouvrent en cadence    
comme une danse,   
les gouttes tombent en abondance   
sur douce France.
 

 

空は灰色 雨が突然 降ってくる    
雨は私たちのところにやってくる    
身動きできなくさせるように    
雨傘は調子を合わせて一斉に開く ダンスみたいに    
雨のしずくが豊かに落ちてくる  優しいフランスの上に

 

Tombe tombe tombe la pluie    
en ce jour de dimanche de décembre   
à l'ombre des parapluies   
les passants se pressent pressent sans attendre 

 

降る 降る 降る 雨が    
12月の日曜日のこの日に    
雨傘の影に隠れて    
通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく 

 

 

On l'aime parfois elle hausse la voix elle nous bouscule   
elle ne donne plus de ses nouvelles en canicule   
puis elle revient comme un besoin par affection   
et elle nous chante sa grande chanson  
l'inondation    

私たちは雨を愛し 雨は音を立てて勢いよく降ってくる   
雨は猛暑の時には何の便りもよこさないのに   
必要な時には戻って来て 私たちに大仰な歌を歌う   
洪水の歌を                   (松峰 対訳)

というのが原詩の全文で、あとは次のリフレインが何度も繰り返される。

 

降る 降る 降る 雨が    
12月の日曜日のこの日に    
雨傘の影に隠れて    
通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく

 

 勢いよく降る雨を、大地の恵みとし明るく享受する歌だ。一斉に傘が開き、足早に雨の中を急ぐ人々の様子が鮮やかで、色とりどりの傘の花がクルクルと街に広がってゆくのが見えてくる。

 

『雨傘』  

 リフレインの心地よいリズム感と、シンプルで大地の香りのする内容に惹かれて、この詩を『雨傘』と名付けて訳詞したのだが、花開く傘の中に小さな女の子がいても良いのではと思い、原詩にない赤い傘の女の子を登場させてみた。2番の詩である。

 

 

赤い傘 雨の中で 踊っている  
女の子 雨の中で 歌っている  
行き交う人 急ぎ足で 通り過ぎる  
力強く 勢いよく 大地を叩く  

tombe, tombe, tombe la pluie  
雨が降る 降り続いていく  
踊る 踊る 傘が踊る  
パリの街 優しく包む  
tombe, tombe, tombe la pluie  
恵みの雨 心を濡らす       

(松峰 日本語詞 )
 

 一つ一つの傘の中に、それぞれの物語があり、少女の楽し気な鼻歌には、真っ赤な傘が良く似合う。  tombe, tombe, tombe la pluie =「トンブ トンブ トンブ ラ プリュイ」  曲の肝はこの繰り返し。雨が降るのが見えてくる。

 
 「あめ あめ ふれふれ」〜連想される雨の歌諸々〜  

 同時に、いくつかの雨の歌と、その情景が浮かんできた。

  「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな     ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

 北原白秋作詞、中山晋平作曲、『あめふり』(大正14年)という童謡である。  まさに、「 tombe, tombe, tombe la pluie」なのであるが。  
 この歌詞は、実は、5番まであって、歌詞の中の男の子は、雨に濡れて独り木の下で泣いている子を見つけて、自分の傘を差し出す。  
 「ぼくならいいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいっていく  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と締めくくられる。  
 心優しい男の子の歌だが、斜に見れば、かあさんに甘えられる幸せを見せつけているとも取れないことはない。  
 北原白秋は、これとは別に『雨』という童謡も書いて、これも良く知られている。
 こちらは少し物悲しい曲調で「雨がふります 雨がふる」と始まる。

  雨がふります 雨がふる  遊びにゆきたし 傘はなし   
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた   
雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びましょう    
千代紙 おりましょう たたみましょう   
雨がふります 雨がふる


 

 

 という調子でずっと続き、「昼もふるふる 夜もふる 雨がふります 雨がふる」と終わる。  

 「いやでもお家で遊びましょう」という所はまるで今の家籠り生活みたいで思わず苦笑してしまうのだが、「tombe, tombe, tombe la pluie」が日本的メロディーにアレンジされて根底に流れている。  
 ちなみに、「遊びにゆきたし 傘はなし」に、井上陽水の『傘がない』が思い出された。

 

「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 
雨にぬれ   つめたい雨が 今日は心に浸みる   
君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?」

 雨が降って、傘がない」のは、学生運動の挫折というこの時代の喪失感と虚脱感の象徴のようにも思われるが、白秋の「雨」は童謡でありながら、そういう薄暗がりのような雰囲気を予見しているようで興味深い。  

 最後にもう一曲。  
 矢代亜紀のヒット曲『雨の慕情』(昭和55年阿久 悠作詞)もやはり「tombe, tombe, tombe la pluie」の仲間。

 

「雨々 ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い」

 演歌風な味付けの中で供された曲と言えるかもしれない。  

 様々に飛躍してしまったが、これからの季節、雨が降り続ける様子、雨音に、音楽と物語を聴き取る感性を磨いてゆけたら楽しいのではと感じている。     
                                    Fin

 ZAZの歌う原曲です。お楽しみください。

 

 

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)
   

     
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松峰綾音