Douce France 『優しきフランス 』
Douceは「甘い・心地よい・穏やかな・柔らかい・優しい」などの意味。1943年、シャルル・トレネ(Charles Trenet)作詞、レオ・ショーリアック(Léo Chauriac)作曲。 第二次大戦後の動乱期にトレネ自身が歌って、フランスで大ヒットした曲である。この曲のヒットはこの時代の歴史的背景・世情に密接に結びついていると思われる。
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<この曲にまつわるトレネのプロフィール>
1940年6月13日、ヒットラーの率いるナチス・ドイツがパリに入城。 ニースに居たトレネは除隊し、パリに戻ることを決意。 1941年アヴニュー劇場のステージに立つ。
第二次世界大戦下の1943年にこの曲の制作。同年、同劇場にて発表。戦後1947年録音され、爆発的ヒットとなる。
手負いの祖国に向けた愛・誇りが、真っ直ぐに伝わってくるこの曲は、今も不朽の名曲としてフランス人に愛され、深く浸透している。
曲構成は、クープレ(Couplets)とルフラン(Refrains)でしっかりと組み立てられていて、典型的シャンソンの形態を持っているといえよう。 「クープレ」というのは、いわばセリフ部分のこと。物語の展開を時系列で語るように歌い進めてゆく。
一方、「ルフラン」は、旋律を重んじ、情感豊かなサビをメロディックに歌い上げる部分で、印象付けるべく何度も反復されるのが常である。
『Douce France』の冒頭は、幼少期の愉しかった思い出を物語るクープレから始まる。
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l revient á ma mémoire Des souvenirs familiers
Sur le chemin de í école Je chantais á pleine voix
Des romances sans paroles Vieilles chansons d´autrefois
慣れ親しんだ思い出の数々が記憶によみがえる
黒い上着が目に浮かぶ
小学生だった時 学校の道すがら
歌詞のない恋歌 昔ながらの古いシャンソンを
声を出して歌った
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クープレはセリフを語るように言葉を音に入れ込むことが出来るので、比較的対訳に近い内容・言葉数で綴ることが可能なわけだが、試みに私が作った訳詞は下記のようである。
小さな手 つないで 黒い上っ張り着て
学校への道 朝陽が眩しくて
ありったけの声で ありったけの歌を
意味も分からず 口ずさむ 恋のメロディー |
(訳詞 松峰) |
「黒い上っ張り」・・・園児が着るお揃いのスモック、フランスでは今も存在しているだろうか。 日本でも時々黄色などのお揃いの上っ張りを着て、若い先生に引率されながら公園で園児たちが遊んでいるのを目にすることがある。制服の自由化は幼稚園にも波及するだろうから、こういう光景も段々減ってくるのかもしれないが。
余談だが、カトリックの女子校で過ごした私の中・高時代には校内で着用するまさに黒い上っ張りがあって「タブリエ」と呼んでいた。 「タブリエ」はフランス語で割烹着のことだ。
そして、ルフランへと続く。
Douce France Cher pays de mon enfance
Bercée de tendre insouciance Je t´ai gardée dans mon coeur!
Mon village au clocher aux maisons sages
Ou` les enfants de mon ãge Ont partagé mon bonheur
Oui je t´aime Et je te donne ce poéme
Oui je t´aime Dans la joie ou la douleur
心地よいフランスよ
幼年時代の優しい安穏にはぐくまれた国
私は君を心にとどめ続けることにした
鐘楼とつつましい家々のある僕の村
そこで私と同じ年頃の子供たちが 幸せを分かち合った
そう 私は君を愛す そしてこの詩を君に捧げる
そう 私は君を愛す 楽しいときも苦しいときも |
(注 君=フランス) |
音韻に留意しながら作ったこの部分の私の訳詞は下記である。
Douce France 幼い日 mon enfance
優しさに包まれ 時は流れてた
Mon village 鐘の音 響き渡り
小さな灯りともる 穏やかな夕暮れ
Oui je t´aime いつだって心に
Oui je t´aime 輝き続ける |
(訳詞 松峰) |
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