けれど、情念がめらめらと沁み渡ってくるような独自の節回しと、情熱的なメロディーに乗ってどこまでも歌い上げてゆくこの歌は、やはりカンツォーネ、イタリア語ならではという気もする。
マッシモ・ラニエリの歌からは、恋に破れたイタリア人男性の失意が伝わってくるが、私の訳詞の主人公は女性、女性側からの歌として作ってみた。
<Perdre l’amour>(愛を失う)・・・・・タイトルは「 愛を失くす時 」とした。
今まさに愛を失うその瞬間だと直感する時の、時間がそこで凍り付いてしまったような感覚。
ドラマの一シーンではないけれど、音も動きも静止して、ぐるぐる周りが回りだすようななんともいえない喪失感、意識が遠のいていくような虚脱感と敗北感。
言葉で言えば陳腐だけれど、自分の身に降りかかってくれば、これは奥底にぐさりと刻まれる消えない傷だ。
貴方の空に 私は居ない
あの愛も 貴方も何も見えない
夜が降りる 闇が深くなる
今 愛が消えてゆく 胸が張り裂ける
夢を失くして 愛を失くして
翼を 失くして 羽ばたけない
貴方を こんなにも
近くに感じているのに どうしてなの
主人公の女性は、その瞬間に立っている。
断崖に立ちすくんでいる。空と淵との間をみつめて。
voler(飛ぶ)、ciel(空)、aile(翼)、・・・
Ia nuit tombe(夜が落ちる)、その失意の暗闇で、彼女の中に耐えがたいほどの眩しく美しい空が広がっていく。
「貴方の空」を見続けている・・・それを何より詩の中で浮き上がらせてみたかった。
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