原詩の最後は
y’aura rien de mieux rien de mieux après (良くなることはもう何もない この後良くなることは何も)
と締めくくられているのだが、少し後ろ向きに考えると「君と既に見るべきものは全て見てしまった、行き止まってしまってこれ以上良くなることは何もない この旅行が終わったらお別れだね」というような決別の気持ちと考えられないこともない。
「dè jà」という言葉にはもう既に片が付いてしまったというような完了のニュアンスが漂っているので。
このような方向で少し考えてはみたが、しかしながらこの曲をそう考えるのはかなりひねくれていて、この曲の明るいメロディーに決別の思いを乗せるほどにはヴァンサンは屈折していないだろうと信じたいし、私は、やはりシンプルに、「もう既に自分の心には君が入っていて、君を選んで君とどこまでも歩いて行く、これが最高なんだと今はっきり言える」という思いの表明であると取りたいと思った。
一緒に過ごした旅が終わりに近づくときに、過ぎてゆく時間の中で終わらせてしまえないもの、守ってゆきたいものを改めて発見する、そんな歌としてこの曲を表してみたかった。
そして旅の最後に、彼女の生まれた町を共に歩く、というのも結構ロマンチックなのではないかと。
その町をとても懐かしいと感じる・・・僕はもういつのまにか君に染まっちゃったんだね・・・というような「dè jà」っていうのもなかなかの愛の言葉なのではと。独断的ではあるけれど、この私の曲「そして 君」はそのような世界の中にある。
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