「優しき調べ 」   

初出ブログへ 2017-11-7

chanson tendre

Comme aux beaux jours de nos vingt ans
Parce clair matin de printemps
J'ai voulu revoir tout là-bas    
L'auberge au milieu des lilas    
On entendait sous les branches    
Les oiseaux chanter dimanche    
Et ta chaste robe blanche    
Paraissait guider mes pas    

私達の二十歳の美しい日々のような 明るく澄んだこの春の朝に あそこにこそ私は再び訪れたかった リラの中にあるあのオーベルジュを 枝の下で聞こえていた 日曜日に鳥たちが歌うのが    
そして 君の純白のドレス 私の歩みを導くように思えていた
               

 (松峰 対訳)


 始まりの原詩は上記の通りである。
 「chanson tendre(シャンソン タンドル)」というこの曲は殊の外言葉数が多くて、上記冒頭だけでも、短い旋律に、とてつもなく早口のフランス語が詰め込まれている。  

 日本語の音節の特徴上、原詩の内容すべてを忠実に日本語詩で表現することは非常に難しく、この曲の訳詞は、いつも以上にイメージを広げ、内容を凝縮し言葉を選ぶことが要求された気がする。  

 ちなみにこの部分の私の訳詞は以下のようになった。  
 日本語で歌うために、かなり短くしていることがわかって頂けるのではと思う。

君と過ごした 二十歳の思い出     
リラ咲き乱れて 小鳥は戯れ      
僕を誘(いざな)う 白いドレスの君      
もう一度 訪れたい あのオーベルジュ 


 1935年、もう80年以上も前の、私が訳詞した中でおそらく最も古い曲だ。

 

 

 フレールが歌ったヒット曲だが、後にコラ・ボケールやバターシュなど様々な女性歌手が独自の味わいを出して歌っている。

 この曲の日本語詞はこれまで他に作られているのだろうか。
 時代の錆は全く感じられず、むしろ新鮮で、端正なピアノの伴奏に乗せて奏でられる、一編のフランス歌曲を聴くような優美で詩的な空気が漂う名曲だと私には思われる。    

 「chanson tendre」という原題は「優しいシャンソン 」という意味だが,内容はかなりシリアスで、「優しい」とは言い難い。

 恋に破れた「僕」が、彼女への想いを断ち切りがたく、嘗ての二人の恋が育まれた思い出の場所であるオーベルジュを訪ねる。
 昔の儘の佇まいが残されている部屋、寝室、すべての調度、・・・
 でも,彼女の姿はなく、もはや取り戻す術はなく、終わってしまった恋を思い知らされる事となる。

 原詩中の<c’est fini>(終わりだ )<on s’en fout>(もうどうでも良いことだ)という、投げるように歌われる言葉が「優しいシャンソン」の正体ということだろう。
 
 詩中に、・・・・「僕」は「鏡の中」にせめて君の名を見つけたいのに、それさえもかき消されてしまっている・・・という表現があるのだが、この部分が私にはとても印象的で心に残り、実はこの「鏡」を訳詞の中の大きなポイントとしてみた。


『我が青春のマリアンヌ』 

 この曲を考えるとき、私にはいつも思い出される映画がある。
 『わが青春のマリアンヌ』という古いフランス映画である。  
 かなり前に、テレビで再放映されていたのを何気なく観ただけなのだが、鮮烈な衝撃を受け、映像のかなり詳細な部分までもよく覚えている。  

 後で調べて、1955年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督によって製作されたものとわかった。
 今から60年以上も前の映画ということになるが、今思い出しても古びたものという印象はない。

 

 

 内容をざっと辿ってみたいと思う。,  
 母の愛を得られないという悩みを抱えながら寄宿舎に暮らす孤独な少年ヴァンサンが、ある時(夏季休暇だったような気がするが、この点の記憶は定かではない)、故郷に戻り、近くの湖のほとりにある「幽霊屋敷」と呼ばれている古城に迷い込む。

 そこでマリアンヌという名の美しい女性に会い心惹かれる。    
 彼女との出会いの場面が実に幻想的で素敵な映像だった。  
 迷い込んだ部屋の壁に、蜀台を持った美しい女性の肖像画がかかっていた。彼がそれにうっとりと見とれていると、,突然後ろに何かの気配を感じる。振り向いてみるとその肖像画が鏡台に映っているのが目に入り、次の瞬間に鏡の中から肖像画が消えて、その肖像画の女性マリアンヌが蜀台を持って立っているのだ。  

 鏡台と思ったのは実は、鏡の入っていないただの枠で、その後ろを女性が通ったという種明かしなのだが。  この後、話は様々に展開し、やがて彼女がこの古城の囚われの身であることを知り、救出すべく彼は再び城を訪れるのだが、その時彼女の姿もその痕跡すらも全くなく、ただ、セピア色をした彼女の肖像画だけが一枚残されていたというストーリーである。  
 
 
陶酔感というか、耽美的な匂いの残る映画だった気がする。    
 勿論、この曲「chanson tendre」と映画とは何の接点もないわけなのだが、共に相通じ合う甘美な余韻を感じてしまう。     
 この映画のように、芳醇な香りを持った美しい残像が刻まれる訳詞になっていれば良いのだけれど。


 

 

 再び「chanson tendre」の原詩の後半を取り上げてみる。

Mais rien n'était à sa place Je suis resté tête basse    
À me faire dans la glace    
Face à face La grimace    
Enfin j'ai poussé la porte    
Que m'importe    
N i ni  C'est fini !    

けれど そこには何もなかった    
私はうなだれたまま留まった    
鏡の中で 顔を向け合い 
苦渋に満ちた顔を 私はさせられていた    
ついに 私はドアを押した   仕方がない 終わりだ!

 ( 松峰 対訳 )


                       
                  s
 この部分は以下のように訳詞してみた。  
 「鏡」が印象的な詩になっているだろうか。  
   

けれど 誰もいない部屋 立ち尽くす僕     
鏡の中に 僕の歪んだ顔が映る     
扉を閉める 君は本当に居ない     
C'est fini

 

 

余談

 auberge(オーベルジュ)はレストランを伴う宿舎・ホテルのこと。
 日本で言えば料亭旅館みたいなもので、本格的な食事をゆっくりと、帰宅時間などを気にせず味わってもらいたいという主旨で建てられたホテルのことを指すと理解していたのだが、先ごろ、フランス通の知人から、厳密にいうと「レストランを伴った宿舎」ではなく、「宿舎を伴ったレストラン」と考えたほうがより正確であると教えられた。

 食を楽しむための館ということなのだろう。  
 この曲の「僕」が訪ねたのはオーベルジュ、訳詩の中で「オーベルジュ」という言葉を頻出させたのだが、言葉の響きが少しだけお洒落かしらという単純な思いが働いたためであることを付け加えておきたい。

Fin

では、フレールの歌う原曲chanson tendreは こちらから。 私の歌う『優しき調べ』(「訳詞コンサートvol.2」より)は、WEBの動画集に前半部分をUPしましたので、こちらも共にお楽しみください。

 
松峰綾音

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)

     
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松峰綾音