WEB松峰綾音

「もしも 」    

初出ブログへ 2016-1-10

 

『Si 』

 

 昨年11月に、訳詞コンサートVOL.9『吟遊詩人の系譜』を開催した。
 このコンサートの第一部「ゴールドマンの世界」で、J.J.Goldmanの曲を8曲ほど紹介したのだが、『もしも』はその中の一曲、是非このコンサートで取り上げたくて新たに訳詞した曲である。
   

 原題は『si』、「もしも」という意味。
 ゴールドマンが2013年に作詞作曲し、当代人気ナンバーワンともいうべき若手歌手のザーズに提供している。

 全編一貫して、シンプルに真っ直ぐに、平和への希求を伝えている原詩だが、まずは、その原詩の冒頭を訳してみたい。

   

もしも私が神様と友達だったら
もしも私が祈りを知っていたら
もしも私が貴族の血を持っていたら
全てを消し去り 作り変える力があったら
もしも私が女王か魔術師か
王女か 妖精か 大連隊の偉大な隊長であったら
もしも私が巨人の歩みを持っていたら

私は苦悩(悲惨)の中に空を置き
全ての涙を川に流すだろう
そして希望さえも流してしまう砂漠に花を咲かせるだろう
私はユートピアの種を撒くだろう 
屈服することは許されない
私達はもう目をそむけないだろう

 

 

 「恵まれない人たちの為に、虐げられている人たちの為に、力ない幼い子供たちの為に、卑小な自分に何ができるだろうか。
 でも、一人では無理でも、皆で手をつなげば 心が通じ合っていれば この世界を少しずつ変えて行くことがきっと出来る筈だ」
と、原詩は締めくくられる。

 ゴールドマンの詩の多くは、難解な比喩表現が駆使され、発想にも飛躍が目立つ。内容も哲学的であったりして、日本語詞を作ってゆく時、こちら側のイメージをはっきり固めて対峙することを要求されるのが常なのだが、他の歌手に提供している最近の曲については、メッセージが明快で言葉もストレートになっていると感じる。
 特にこの『Si』などは、まさにその典型とも言えるかもしれない。

 歌詞をじっと噛みしめていると、詩の根底に流れる、ゴールドマンの、生きとし生けるものへの深い思いが、しみじみと伝わってくる気がする。 

 デビュー当時から、人として誠実に妥協せず生きること、平和で美しい世界を実現すること、そういう彼の思いの根幹は何ら変わっていないのだろう。

 

 年齢と共に、装飾的な言葉の全てはそぎ落とされて、更に深みと力とを増して、シンプルになった詩が心に迫ってくる。
 

 時を経て、より慈愛に満ち、深まる愛を、次世代に繋ぐように若い歌手に歌を託している、そんな風にも思えてくる。

 ザーズ自身も「世の中を変えたいと願う人それぞれが行動を起こそう」と折に触れ訴えていて、それに共感したゴールドマンが彼女に贈った曲なのだと聞く。

 

『もしも』
 

 既に述べたように、ゴールドマンにしては意外過ぎる程の素朴な言葉に終始したこの『Si』という曲。
 「もしも 私が」と繰り返される祈りは、「魔法使いのように強い力を持っていたら」などという子供のような願いに繋がって無邪気ですらある。

 「ユートピアの種を撒きたい」「一人では無理でも皆で手を繋げば、声を合わせれば、きっと変わってゆく筈だ。一歩ずつであっても歩みを進めよう」

 強く迫ってくる旋律に乗せて、ダイレクトであるがゆえに迷いなく浸み入ってくる言葉の力を、私の訳詞『もしも』では、最大限伝えたいと思った。
 原石をちりばめたような、不器用な位にそのままの言葉を、私も敢えて研磨することをせず、そっと置いてみたかった。
 そういう言葉でなければ、ゴールドマンの思いは届かないのではと思った。

 そうして作った私の訳詞。
 冒頭部分と最後の締めくくり部分はこのようである。
 上記の原詩と比べてご覧になると、そのエッセンスに忠実な歌詞であることがおわかり頂けるのではと思う。

もしも 今 私の願いが叶うなら
どんな祈りも 聞き入れられるなら
もしも 今 私に 魔法の力があって
世界を自由に変えることができるなら

哀しみは空に放ち 涙は川に流し
果てしなく彷徨う砂漠に
ユートピアの種を 撒き続けるだろう
どんな風(かぜ)にも ひるむことなく
  
 ・・・・中略・・・・

それでも 私達が 声を合わせるなら
きっとそこから 何かが生まれる

この不毛の地に その手を繋ぎ合って
一つ 一つ 世界を実らせよう

心通わせ 共に歩もう

 

  

 この曲を初めて歌ったコンサートの当日11月14日は、奇しくも世界中を震撼させたあのフランスでの大惨事が起こった日でもあった。
 朝一番のニュースに大きな打撃を受けたまま、コンサート会場に向かい、午前中からリハーサルに入った。
 『たびだち』『見果てぬ世界』も他のゴールドマンの曲も全てがそうだったのだが、特に、この曲を歌った時には、朝テレビで目にした映像が鮮明に心に浮かんできて、強い衝動を感じていた気がする。
 ゴールドマンの希求が胸に迫ってきて、溢れそうな感情と詰まりそうな言葉とのせめぎ合いの中にあった気がする。
 後で、コンサートにいらしたお客様数名から、「あの曲は今日の衝撃的なニュースをゴールドマンが予感して作ったものなのかとすら感じて背筋が震えた」との感想を伺ったが、朝一番のニュースだけで出てきた私より、お客様は事件の詳細をご存じだった分、更に衝撃が大きかったのかもしれないと思った。

 あれから二カ月が過ぎたが、このお正月も、テロの影響が続くフランス、サウジアラビアとイランの対立紛争、北朝鮮の核実験、平和の対極にある、胸塞がれ、憤りで一杯になるニュースで世界は溢れている。
 2013年に作られた曲だが、今こそまさに、このゴールドマンのメッセージに真摯に耳を傾けるべき時、実感を持って切迫してくる。
 彼はどのような思いの中に今いるのだろうか。

 そんなことを今朝も思いながら、改めてしみじみと『もしも』を口ずさんだ。
    
              

 

Fin

 

 

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)
                     

 では、ザーズの歌う原曲をこちらのyoutubeでお聴きください。
  

 
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