「君と旅立とう」 その二    

初出ブログへ 2011-04-23

 今日は前回の続きから。
 「そろそろ謎解きを。」・・・というところで終わっていましたね。
 「君と旅立とう 〜con te partirò〜 」その一 が前回です。

両者の違い

そもそも「con te partirò」と「Time to say goodbye」はどこが違うかということだが。

 実は、三カ所を除いてどこも違わないのである。

 * まずタイトルが違う。これがまず一カ所。
 * 原曲の「con te partirò」の歌詞は、サビの部分がすべて 〜〜con te partirò〜〜〜 という言葉から始まっており、これが曲中で計6回繰り返されているのだが、このうちの2回のみ〜〜Time to say goodbye〜〜に置き換わっている。これが残りの二カ所。

 つまり。
 「Time to say goodbye 」は、このタイトルから、英語の歌詞で歌われているのだろうと錯覚を起こす人もいると思うが、そうではなく、上記の三カ所以外は、「con te partirò」と全く同一なイタリア語の歌詞なのだ。
 すなわち、ボッチェリの歌っている「con te partirò」をそのまま、勿論メロディーも寸分違わず、歌詞も同一のイタリア語で歌って、ただ、曲中の、~con te partirò〜という言葉の二ヶ所のみを 〜Time to say goodbye〜としたわけなのである。

 ・・・・ただこれだけ。

 

 

違いの推論と評価


 それがなぜ、前述したような解釈の違いまでも生むことになったのか?
 ここからは推測力が試されるわけで・・・。

 混乱の元凶はおそらくサラにあるかと。
 
 ボッチェリの歌う「con te partirò」を初めて彼女が聴いたとき、・・・直感的にこれだ!と閃くものがあったそうで、ここら辺はやはり天性の才能のなせる業なのだろうけれど、・・・すぐさま彼に申し入れて、彼とのデュエット曲として歌うことになったようだ。

 初演は、当時ドイツの国民的英雄であるボクサー、彼女の友人でもあったヘンリー・マスケの引退試合の際、その試合前のリング上のステージだったという。
 この場を、二人で歌うこの曲の発表のチャンスとしようと彼女が考えたとき、去り行くボクサーに贈るという意味合いからは、con te partirò あなたと共に出発しよう ではなく、Time to say goodbye さよならをいう時 とした方が誠にふさわしいと再び閃き、(たぶん・・・そのように閃いたのだと思うのだが・・・)急遽タイトルを変え、更にこれに合わせ、例の二カ所の言葉を変えたことにより、「Time to say goodbye」が誕生することとなったようだ
 マスケの退場時にもこの曲は流され、この試合の模様はTV放送で2100万人以上の視聴者が観ていたこともあり、直後の12月に発売されたシングルはまずドイツで大ヒット作となったという。

 

 

 しかしながら、原曲である「con te partirò」の詩の内容は、二人で力を合わせ、夢と希望を持って、未知の世界へと出発しよう 二人でなら怖いものは何もないのだから という勇気と希望に満ちたラブソングであるから、サラには申し訳ないけれど、よ〜く考えてみると、詩の全体の解釈からは、ただTime to say goodbyeと言葉を差し替えれば済むとは思えず、いささか安直なやり方だったのではないかという気がする。

 でもまあ、今までの世界とさよならを告げて新たな世界に生きるのだ という前向きな意味にもとれないこともないし、少し混乱をきたしたとはいえ、好意的に見ればサラはそのような意味合いでこの言葉を選んだと弁護できなくもない。
 いずれにしても、このタイトルのインパクトのほうが実際勝って、これだけの世界的ヒット・・・最終的にアルバムセールスは2500万枚といわれている・・・を呼んだのかもしれないから、大いに成功だったと言ってよいのだろう。

 かくして、con te partirò」は「Time to say goodbye」にほぼ凌駕され、サラの歌声と共に世界中に生きることとなった。
 ちなみにボッチェリがソロで歌うときはやはりcon te partirò」であり、こちらのファンも根強いことも忘れてはならない。

 

日本語詞についての考察


 松本隆氏の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ〜さよならの時刻(とき)〜」について更に少し触れてみたい。
 これは「日本語詞」とされておられるように、Time to say goodbye という言葉の意味合いを生かして、原詩にはこだわらずに、思い切って独自な新たな詩として生み出されたものだろう。

  揺籠(ゆりかご)みたいにあなたに甘えた日々
  旅行鞄へと詰め込んで船に乗る
  光の消えた街

 という叙情的なフレーズから詩は始まり、恋人達の別離の時を悲しく歌い上げていく。恋人と別れ、一人船出していく女性の傷心を描いたものと思われるが、映画のスクリーンを観るように情景が目に浮かんで来る。
 何となく私は、この詩を読んだとき、映画「タイタニック」のあの有名な船上の場面が頭によぎってならなかった。サラの同じアルバムにタイタニックのテーマ曲も収録されていたことも手伝って、一瞬イメージが重層してしまったほどだ。
 
 いずれにしてもタイトルを「Time to say goodbye」として訳詞する場合は、どうしても詩中に出てくるこのTime to say goodbyeの言葉の処理に心を砕くことになるだろう。

 いよいよ話も終盤となって参りました。
 あと少しで終わるので一気に、とも思ったのですが、今回の話は込み入っていますので、またまた、ここでひと息入れることとし、続きは明日お伝え致しますね。

 

その三に続く